アラスカ、フェアバンクスで暮らす、親分とその子分達(キヨシ君:夫、サブ子:娘、栄作:息子、そして飼い犬 Maxine) の日常を綴ります。
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Posted by 親分
 
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インドネシアからの少年
プライバシー保護の為、本当は仕事で出会った患者さんのことを外に漏らしてはいけないのですが。小児科で受け持ったインドネシアからの少年のことについては、地元の新聞にも詳しく話が載っていたのでここで少しお話させてもらってもいいだろう、と判断して書くことにしました。長文です。

インドネシアからやってきたT君、10歳は、2年前にふとした事故で全身大火傷を負いました。貧しい家庭に生まれたT君は何と医者にも連れて行ってもらうことが出来ず、せいぜいシャーマン(祈祷師)のところに連れて行かれた以外は一切治療という治療を受けなかったそうです。そしてその火傷を負った全身の包帯交換(もちろん素人による)にも痛み止めが使われるということは一度もなかった、と。

私は東京の大病院の救命センターで働いていた時代、何が一番嫌って「重度の全身火傷」の治療が一番嫌でした。包帯交換の前に強い鎮痛剤を使用しても、やっぱりその痛みとストレスは患者さんの胃に潰瘍まで作り、精神状態に異常をきたす患者さんも少なくありません。あれは、治療する側にもとにかく辛い体験です。

そんな苦しみを、痛みを、当時たったの8歳だった男の子が、一切の鎮痛剤も与えられずに素人の包帯交換で受け続けて丸2年。手足の指はところどころ火傷で解け落ち、変形し、全身に残ったケロイドが手足の関節やら股間まで硬直させてしまったためにモノを上手につかんだりまっすぐに歩くことができません。右足には2年前の火傷からまだ完治できないでいる開放創が。

そんな彼は学校にも行くことができず(もちろん友人達に忌み嫌われ、いじめられるからです。)、結局孤児院暮らしに落ち着きます。そんな中、フェアバンクスのとある慈善団体がインドネシアにオープンしたクリニックに通い始めた彼は、そのクリニックでボランティアをしていた、私の働く病院のオペ室で働くナースに「この子にアメリカの医療を」と色々と取り計らわれたのがきっかけで、こうしてうちの病院で一年間にわたる整形、形成手術の数々を受けることになったのです。ここまで来るには、たくさんのフェアバンクスの人々の尽力があった、と新聞にはありました。

今回は右手親指と手首の再建、太ももからの皮膚移植。次回は左足の親指再建もろもろ。形成的な手術は、その後になるようですが、まずは彼の手足の機能の回復を目指すということで、何度にもわたる手術の第一回目はとりあえず成功に終わりました。術直後のT君を受け持った私が、通訳を通じて「痛みはどう?」と聞いても、そのきりりとした目でまっすぐに私を見て「大丈夫」という10歳の彼。これまで想像を絶する身体的、精神的痛みを乗り越えてきた彼には右手の再建手術など大したことではないように見えます。術直後にひょこひょこと立ち上がってトイレに行ってしまった彼を見て、「普通、大腿からの皮膚の自家移植なんかを受けて、こうしてすぐに立って動ける患者なんて大人でも見ないよ。」と言った、彼をインドネシアから連れてきた当のオペ室ナースの一言が耳に残っています。

ちょっと手の位置を変えてあげただけでもつたない英語で「ありがとう」と感謝し、痛みや吐き気を聞いても「大丈夫、大したことない。」を繰り返す彼も、やっぱり10歳。病室でかけてあげた動物のビデオに白熊が出てくるのを見ては、「ルック!アラスカ!」と興奮気味に教えてくれたり、「オー、ノー!」と自分の嫌いな虫の出てくる画面を前に両手で目を覆って顔をしかめてみせたり。1年間のフェアバンクス在住の間、里親になっているという家族が病室に訪れ、皆に囲まれてリラックスしている彼はようやく子供の顔を見せてくれたのでした。

T君を受け持った当日、小児科での仕事を終え、自宅に帰っても彼のことが頭から離れません。我が家の飼い犬、マキシーンの頭を撫でてやりながら、とりとめもない疑問や怒りや悲しみが襲ってきます。マキシーンでさえ予防接種を受け、ちょっと怪我をすれば動物病院に連れて行ってもらえるというのに、8歳の人間の男の子が、こうして全身大火傷を負っても医者にも行けない、治療も受けられない、想像を絶する痛みを鎮痛剤もなしに乗り越えなければならない、そのギャップを底の見えない真っ黒な穴の中に垣間見た気がしました。

世の中には貧困問題や人権問題や教育問題や環境問題や、とにかくそういったことがたくさん渦巻いていることはテレビや映画やラジオや本で見たり聞いたり読んだりして一応は知っている「つもり」になっていました。でも私は何も知らなかった、こういうことが、地球のどこかで本当に起こっているのだ、現にこうして目の前の10歳の男の子はすさまじい人生をその小さな体で生きてくるしかなかったのではないか、彼には選択肢、というものなど一切与えられることがなかったのだ、と。

こういうことを言う自分が偽善者ぶった感じでちょっと気持ちが悪い、という気も自分でするのだけれど、やっぱり彼のまっすぐな目を見た後には「自分にはいったい何が出来るのか」ということを考えずにはいられない。だけどそれはとてつもなく難しい質問で、

たとえばT君が今回こうして、とあるナースとの出会いがきっかけでアメリカの医療を受けて生活の質が少しでも向上する(と信じたい。)、そしてインドネシアに帰る、それから彼は再び孤児院でどのような生活を送るのだろう。

たとえばT君はこうしてラッキーとも言える出会いから治療を受けられることになったけれど、そういう出会いに恵まれない他の人々(どれぐらいいるのか、想像するだけでも頭がくらくらしてしまう。)はいったいどうなるのだろう。

私の混乱した思いをうまくつづれるかどうかわからないのだけれど、私はT君にアメリカの医療を受けさせ、「あぁ私達は彼にインドネシアでは受けられないような治療を受けさせてあげた。彼らが自分達では支払えないようなミリオンダーラーを寄付金でまかない、手術を受けさせ、彼の人生を救った。私達は全く良い事をした。」と、そういうことで終わっては決していけないと思うのです。

何から踏み出せばよいのかわからない、でもT君のきりりとした真っ直ぐな視線が、彼と過ごした数時間が、私に考えるきっかけを与えてくれた、そのことには感謝しなければいけないと思っています。
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Posted by 親分
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[ナースのお仕事
comment
親分のブログを読んで、人として、母として、深く考えさせられました。基本的に何不自由ない環境で生活している以上、私が何を言っても偽善者っぽくなってしまうと思うので、ここでは言葉にしませんが、考えるきっかけをくれた少年と親分に感謝します。

このことについては、私なりに考え続けようと思います(結局、満足のいく答えは出ないかもしれませんが、考えること、直視することもまた意味があるように思います)。世の中には、美しいこと、楽しいことがたくさんありますが、同時に悲しいこともたくさんありますね・・・(溜息)。
2010/01/14 06:27 | | edit posted by Dora
知る事
すごい経験だったね。

私最近思うに、私たちの義務って知る事、理解することだと思う。そんで親分の言うように「つもり」の危険性、隣り合わせなんだって意識が大切だな~~と強く思う。

自分の価値観、常識を横において、いつも視界を広げて、オープンマインドでいる、すると一人一人の行動って変わってくるような気がする。「つもり」でこれができない事って多いと思う(自分も含めて)。でもこれが私たちの義務ではないかと思う。

Tクン、すこしでもはやくよくなるといいね。
2010/01/14 06:43 | | edit posted by ナンゴ
T君のお話、とても身につまされます。
自分にも子供が出来てから、今まで以上にこういう話に弱くて・・・。T君を救おうと、最初に働きかけたナースの方も素晴らしいし、その意思を支援して実現させたフェアバンクスの人々に、やっぱり拍手を送りたいです。
ほんと、自分達に何が出来るだろう??
自分の子供達にも、食べ物の大切さ、プレゼントが貰える幸せ、色々教えて行きたいと思うのに、なかなかそれを感じさせるのは難しくて・・・

知人で(彼女もナースです)ティーンネイジャーの娘さん二人を連れて、バックパックでアジアの貧しい国でボランティア活動に参加した方がいて「学校を3ヶ月も休ませたけど、学校じゃ習えない事を沢山学ばせられたと思う」って言ってたのを思い出しました。

私も親分の日記を読んで、考えるきっかけになりました。
2010/01/14 08:50 | | edit posted by 菊
すごい経験をしたね。

ハイチの地震の事なんかでも思うのだけれども、
テレビや新聞で読み聞きしても、番組が終わったり、新聞読み終えたりしたらそれで完結してしまうのよね(少なくとも私の場合はそうなってしまう事が多い)。
実際はそれが現在進行形で存続しているにも関わらず。

ここで日記に記して、みんなが考えるきっかけを作った親分はそれだけでもう何かを始めているんじゃないかな、と思うよ。私も見習わねば。

T君のこれからの手術も順調にいきますように。

2010/01/14 16:21 | | edit posted by ルティカ
Doraさん>
>世の中には、美しいこと、楽しいことがたくさんありますが、同時に悲しいこともたくさんありますね・・・
全くDoraさんの言うとおりですね。でも「悲しいこと」には目を閉じてそれを見ないで一生を過ごしてゆける人もいれば、その選択権がない人というのもたくさんいるのだ、ということを、私達は少なくとも知るべきなのだろうと思います。お互い子を持つ母の身、T君の人生が人間の暖かさに触れて少しでも癒されてくれることを願いましょう。

ナンゴさん>
本当にその通りだね。でもそのことがいかに難しいことだったのか、ということを今回嫌というほど思い知らされた気がしたよ。がんばって目を見開いていても、メディアで知る各国の悲惨な状況というのはテレビが、ラジオが、ドキュメンタリーフィルムが終わってしまえば、本や雑誌を読み終えてしまえば、そこで一つの物語として終了してしまう、自分の人生とのギャップがありすぎて、本当に実現する現在の問題としてうまく掴むことが出来ないのです。少なくとも私の場合。今回のことでは、生身の人間が生き証人として現れたので頭をガツンとやられたよ。
でもナンゴさんの言うとおり、知ること、そしてそれを自分の頭で本当に理解しようと努めること、それは私達の「義務」なんだよね。

菊さん>
やっぱりそういう生の現状に触れる、という方法が理解するのには一番なのかなぁ、と結局そこにたどり着きます。だからと言って自分が今そういうことを出来るか、と問われるとそれも難しい。仕事、子育て、学校、自分が今持っているものをどれも捨てられないのです。。。自分勝手なものですよね・・・。
それでも、自分が出来ることから、余裕が出来たときで良いから、そういう、世界のあちこちで起きている暗くてどろどろして悲しい現状にまっすぐに目を向けてじっくり考え、行動を起こすことは自分にもいつかは出来る、と信じています。

ルティカさん>
なんだか、自分の中だけでもやもやと考えていられなかったのです。新聞記事にもなっていたし、ここで皆にも彼の存在を知ってもらうことは実は大切なことなんじゃないか、と思って思い切って書きました。
ルティカさんの言うとおり、メディアを通じて知る現状は何か一枚隔てていて生々しさにかけるのです。
ルティカさんと旦那さんは毎年世界各国を回って、実際にその場に存在してみないとわからない空気とか歴史とかに触れているから、より考える所があるでしょう。私はそういうことが実はものすごく大切なことなんだな、出来ることならばやったほうが良いことだな、と思いました。今は無理だけれど、自分にちょうど良いタイミングでやってくるだろうチャンスを待って、小さくても行動を起こせたら、と願っています。
2010/01/14 21:07 | | edit posted by 親分
親分・・・

眉間の皺を戻せませんでした。
私もとあるチャリティーグループに毎月決まった金額を送っていますが、T君の様な子には届きにくいと思っています。

私達が矢面に立って彼のような人たちをヘルプすることは出来ませんが、皆が言うように知って知ったら少しでも出来る事をしていくという事だよね。

本当に悲しいお話でした。今、こんなに幸せな生活を送れていることに感謝し、恵まれない人に少しでも分けてあげられたらと思います。

書いてくれてありがとう
2010/01/16 03:55 | | edit posted by kiki
kikiちゃん>
本当だね。基金、に参加する、というオプションに関してはちょうど私もちょっと考え始めたところでした。自分が今実際に動いて直接に力になるということは出来なくても、そういう方法で力になれる、ということもあるもんね。キヨシ君が今一生懸命良さそうなチャリティーを探してくれてます。


2010/01/16 20:16 | | edit posted by 親分
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