アラスカ、フェアバンクスで暮らす、親分とその子分達(キヨシ君:夫、サブ子:娘、栄作:息子、そして飼い犬 Maxine) の日常を綴ります。
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Posted by 親分
 
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妹からのメール
このまえ北海道のみんなから届いた物資のおかげで、不自由なく暮らしています。みんなから励まされ、本当に感謝してます!我が家はガスも水道も復旧し、市内の店も短時間営業を始めるところがでてきました。以前のように殺気立つ行列に並ばなくても普通に店に入ることが出来て、なかでも生協は品揃えがなかなかです。昨日行ってきたけど、電力不足なのか店内は薄暗く、処分品なのか乳製品はビニールに覆われ販売不可の張り紙。それでも野菜や魚が売ってる~と感激しました。納豆が恋しいという話をしていたら納豆も発見!!○○○(娘)が「おかあさん納豆ある~!!」と大喜び。外で果てしなく待たされることが無くなっただけでもホッとしたのに、食べたいものが買える幸せ!大体のものは手に入るようになって、少しづつ不安が消えてきました。

当たり前がどれだけ恵まれていたのか、今回の震災でよくわかりました。水がない、電気が無い、ガスも無い、と突然の原始生活になって、最初の頃は情報がわからず、携帯も圏外。外は次第に真っ暗になり、ストーブの周りに集まって家族でラジオを聞くしかない夜。海岸に数百人の遺体が確認できるとか、津波が押し寄せてるとか、町が壊滅したとか、そんなことばかり暗闇で聞いていて気が滅入りました。灯油と懐中電灯の電池が心配ではやく布団にはいるけど、余震で緊張し、オムツや食料が家にどのくらいあったのか、飲み水は?お風呂の残り湯は?沿岸の友達は生きているのか?避難できたのか?津波はどこまできてるんだ?と延々と考えて眠れず。。。でも数日経って覚悟を決めるとたくましく過ごせるもので、お風呂なんか入らなくても、トイレが使えなくても冗談を言って笑えるし、食事をみんなで分け合ったりするのも楽しかった!水道が復旧して蛇口から水が出たとき、子供たちが飛び跳ねて喜び、水だー!!と大声を上げてわらった事は忘れられないし、子どもたちにとってとてもいい経験になったと思います。

悪夢のような現実だけど、とにかく自分たちは生きている!こんなにもみんなに支えられてる!と感謝して過ごします。同級生や後輩のお母さんが遺体で見つかり、未だに行方不明の知り合いもいます。同僚には、ガソリンがなくて被災した遠い実家に戻れない人や、家が跡形も無く流された人もいます。自分の家で家族と暮らしている私たちは本当の被災者とはいえないなーと思います。

津波にあった玉浦の現状を写真に撮ってメールで伝えようと思い、先日車で行ってみたのですが。。。変わり果てた風景にあ然。木材や瓦礫、ごみ、黒い泥が一面に広がり、残った家では中の泥をかき出す作業中。海水と下水の嫌な匂い。重機がミニカーに見えるほどの光景。その先の重大な被害のあった沿岸には恐くていけませんでした。カメラも向けられず帰ってきました。自分がするべきことはこんなことじゃないな、と力が抜けてしまいました。

とにかく、時間がかかります。元通りというわけにはいかないかもしれないけど、10年20年かけてやっていく気力をもって、私も出来ることからはじめたいと思ってます。日本人の、いや忍耐強い東北人の底力をみせるぞー!


※宮城県、岩沼市に住む妹から昨夜届いたメール。。。現場の声を聞いて欲しくて、妹の了承を得て載せることにしました。本人は「おしょすいなー(恥ずかしいなーの訛り。笑!)」って言ってましたが。
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Posted by 親分
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[日本東北関東震災
玉浦小学校への寄付のお願い
妹の子供達が通う小学校が、同じ市内にある小学校、玉浦小学校の子供達(多くの子供達が津波で家や学用品を流されてしまった)に送ろうと、

未使用の鉛筆、消しゴム、定規、筆箱、使わなくなったランドセルの寄付を募っています。実はこの玉浦小学校、私と妹の母校でもあるのです。稲刈り後の田んぼでイナゴ採り大会をしたり、きっと津波で跡形も無くなってしまったであろう鳥の海でごみ拾いをした後に芋煮会をしたり、市内で合同の競技会などがあるたびに集団で田んぼのど真ん中を列を作って町中まで自転車移動した玉浦小学校時代。

友人や先生の暖かい訛り言葉や、帰宅途中に嗅いだ籾殻の燃える香ばしい匂い。あの美しかった小さな田舎町が津波にすっかり飲まれてしまった。家族を失い、家を失くし、呆然と避難生活を送っている同級生がどれだけいるのかと思うと本当に心が痛みます。今、私が出来ることは、彼らの子供達(私達の下の世代の子供達)が玉浦小学校で再び学校生活を送れる日の為に、学用品の寄付を募ることぐらいです。

日本に住んでいる方で、もし協力していただける方が居ましたら、

989-2456
宮城県岩沼市松ヶ丘1-17
岩沼西小学校

宛てで、上記未使用の学用品か、使用済みランドセルの郵送をぜひよろしくお願いします。もしくは、私の妹の実家まで送ってくだされば、妹が責任を持って玉浦小学校宛てに直接寄付させていただきます。ご協力していただける方は、直接岩沼西小学校宛に「同市内にある玉浦小学校の子供達の為に」ということで寄付していただくか、もしくは私までご連絡ください。妹の連絡先をお伝えいたします。
Posted by 親分
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[日本東北関東震災
ボランティア
宮城県の交通機関がある程度整って、実家に水が戻ったら・・・。

1ヶ月間ほど1人実家に飛び、父親の仕事場の片付けを手伝ったり、地元人が避難生活を送る避難所でボランティア活動をして来ようと思ってます。ナースとしてお力になれればなおさら良いのですが。

Posted by 親分
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[日本東北関東震災
その後の岩沼の実家の状況
痴呆症と糖尿病を患う祖母がここに入院しています。
スポーツ報知「宮城・仙南中央病院院長が電話でSOS「このままでは餓死、凍死が…」
http://news.livedoor.com/article/detail/5411928/
その後、この病院に物資が届いたかどうか、何か情報を持っていらっしゃる方はいませんか?家族が様子を見に行きたくても、ガソリンが手に入らないので足がないらしいのです。

両親、妹家族が避難生活を送っている地域(宮城県岩沼市)では、幸い飲み水の配給は充分にあるようですが一日に購入できる食べ物が全員でおにぎり3個とか、そういう状態です。子供のオムツやトイレットペーパーや、そういうものが断然に不足しています。ガソリンスタンドやお店はもう売るものがないので店じまいをしているそうです。水の配給はあっても食べ物の配給は届いていないみたいです。

福島の原発から90キロ(55マイル)ぐらいのところに住んでいるのですが、子供達の身を守るために避難したくてもガソリンがないので動きようがないらしいです。

私の職場の同僚や友人達からも「何かできることはないか」と暖かい言葉をかけていただき、フェアバンクスの友人達のサポートには心から感謝しています。私はとりあえず地元の皆を助けようにも物資やお金を届ける手段がないので、やっぱり赤十字など信頼できる組織に寄付金を募るのが要は一番の早道なのではないかな、と考えています。

とりあえず、私は職場や友人の助けを借り、赤十字宛の募金を募ります。あとはやっぱり福島の原発でなんとか状況を改善しようと、自分の命を懸けて立ち向かっている方々のことを信じて、祈るしかないのだろうと思います。ブログやメールで暖かいコメントを寄せてくださった方々、本当に本当にありがとうございます。お1人お1人に感謝の言葉をお返ししたいのは山々なのですが、今は仕事や育児の合間に日本の家族と安否状態を確認しあったり、FacebookやMixiやメールを通じて、家族や友人に実家の状況を連絡するので精一杯な状況です。皆さんのお気持ちに心から感謝して!!!
Posted by 親分
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[日本東北関東震災
岩沼の実家の状況
実家が宮城県の岩沼市なんです。生まれは仙台。子供時代の大半を過ごした岩沼市玉浦地区は津波で壊滅状態のようです。

妹の携帯からの短いメッセージで、両親、妹家族共に無事であることを確認しました。父親の仕事場はダメだった模様ですが、もうここの写真の数々で一変してしまった見慣れた風景を見て以来、生きててくれただけで本当にありがたいと涙がこぼれました。両親は妹の自宅に滞在しているようで、停電、断水は続いているものの(プロパンももちろんダメ)飲料水の配給もあるようですし、町中にあるお店は食料品を売ったりもしているようです。今はただ福島の原発の緊急事態が解決されるのを、胃を痛くしながら見守っている状況です。

心配して連絡を下さった皆さん、本当にありがとう。玉浦地区や名取市に住む私の友人の安否を知っている方がいらっしゃいましたら、ぜひぜひご一報ください。

Posted by 親分
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[日本東北関東震災
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