アラスカ、フェアバンクスで暮らす、親分とその子分達(キヨシ君:夫、サブ子:娘、栄作:息子、そして飼い犬 Maxine) の日常を綴ります。
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Posted by 親分
 
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100年に一度の異常気象
月曜日早朝。フェアバンクスは異常気象に見舞われた。例年ならばマイナス20℃、30℃をうろちょろしていることであろう11月下旬に、なんと気温が0℃以上まで上昇。なんと雪ではなく「雨」が振り出したのである。これまで降って地面に踏み固められていた雪の上に降る雨。どれだけつるつるな状態なのか想像してもらいたい。

当日、Dr.Sの癌センター放射線科クリニックでの仕事があった私は、「あのクリニックには今日、私以外にナースは1人もいないのだ!休むわけにはいかない・・・。」と自宅を早めに出た。子供達を起こし、弁当を持たせ、車に乗せて、まずはプリスクールへ向かおう。プリスクール、病院までだと普段なら車で25分、13~14マイル(約22キロ)ほど離れている山奥の我が家から、私はそろそろと車を出した。冷や汗をかきながら坂道を登ったり下ったりして、ようやくメインの道路に出ることが出来た私がみたものは・・・。

下り坂を目の前に、車を滑らせて事故を起こすことを恐れたドライバー達が、道路脇に所狭しと駐車して4 way flasher を点灯している光景だった。私もなんとかスペースを見つけて道路脇へ車を駐車。後部座席で「Let's go Mama! We have to go to preschool!」とうるさい子供達をなんとかなだめながら、ことの成り行きを見守っていた。そうこうしているうちにも、後ろからどんどん車が詰めてくる。バカなドライバーが、道路脇に連なってじっとしている車達を追い越そうと、ゆっくりと坂を下ってゆく。その車はスローモーションで横に滑り出し、あー、あー、あー、とこっちが思っている間に、下から昇ってきていた車にまんまと衝突していた。

事故を見た人たちが助け舟を出そうと、それぞれに自分達の車から出て事故車両に向かうが、なんとその人たちまでもがつるつるの下り坂で滑って転び出す始末。私は携帯を取り出して911をダイヤルする。しばらくしてようやく電話に出たDispatcherは、「重症な怪我を負っている人はいますか?」と聞いてくる。「いや、大怪我してるようなことはないと思いますが・・・。」と場所と状況を説明すると、彼女は「町中のどこもかしこもそんな状況なので、しばらく行けないと思います。」と言うではないか。なんとなくそういうことだろうとは思っていたので驚きはしなかったが、こんなパニック状態になっているのに誰も助けに来てくれないとは!ここはなんとかして自分で脱出を図らねばならない。中には車をその場に乗り捨てて徒歩で帰宅を試みる人も出始めた。しかし我が家はもはやその場から小さな子供2人を連れて徒歩で帰れるような距離ではない。

そうはいっても前後ともに駐車車両に囲まれて身動きが取れない。携帯でクリニックに電話を入れ、状況を説明して今日は仕事にたどり着けないだろうということを伝えると、受付の彼女は「たぶん患者さんも沢山来れない人がいるだろうから、忙しくはないはずよ!大丈夫、気をつけて自宅に戻ってね。」と言ってくれた。

そこでやきもきしながらじっと待つこと1時間。ようやく車の向きを変えて逆戻りできるスペースが出来たのを見計らい、私は意を決してそろそろと車を動かし、何度も走行、停止、を繰り返しながら自宅へ向かいだした。子供達は「Yeah! Mama! Go, Mama, Go!!! Go Mama, Go!」と後部座席から声援を送ってくれる。そうして私は家を出て2時間後になんとか無事に自宅へ戻ることが出来たのだった。

その後、病院の同僚から聞いたところによると、病院では医者やナース以外の職員は仕事に出なくてもよろしい、医者やナースも道路が危険な場合は無理して仕事へ向かわないように、という通達が出、病院から自宅へ帰れない職員には宿泊場所の提供までしていたらしい。

一昨日の感謝祭前日からようやく気温が再び下がり始め、道路のコンディションもやや回復。私も数日間閉じ込められていた自宅からようやく出て職場へ戻った。「月曜日から自宅に戻っていない」という同僚に感謝の言葉をかけながら勤務を交代して仕事に入る。なんとも忘れられない感謝祭ウィークの勤務となった。
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Posted by 親分
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[アラスカ
短い夏を楽しむ
雪解けが終わるのが4月中旬。初雪は9月の終わり。地面が見えているのは4ヶ月から5ヶ月弱というここフェアバンクスでは、短い夏をなんとか思う存分楽しもうと住人達はそわそわしている。

それは私達も一緒。子供達と水泳に行き、帰りには観葉植物の植え替え用の植木鉢やら土を買いに出かけ、ちょっと昼寝をしてからかぼちゃと豆のカレーを作ってもりもり食べて、まだ高い太陽の下で今度は芝生の上の枯葉のかき集め作業。子供達は綺麗になった芝生の上で大量の蚊に襲われながらもマキシーンと駆けっこをしてキャーキャー喜んでいる。枯葉のかき集め作業は結構な肉体労働だ。でも去年苦労して種から始めた芝生が、一冬越して今年もまた生えてきてくれた!と思うとやっぱりうれしいもの。かき集める枯葉の下から顔を出す緑に励まされつつ、毎日ちょっとずつ作業を続けている。

これが済んだら肥料を撒き、芝が薄くなっているところに種を撒き、水を撒き、という作業が待っている。玄関の両脇に植えたルバーブ達も全部無事に芽を出し、葉っぱを出し始めたし、ラズベリーもストロベリーも大丈夫そうだ。しそはやっぱり冬超えは無理だったなー・・・。

キヨシ君はこの夏グリーンハウスを作りたいと言っているけれどどうなることやら。短い夏を楽しむために、これから数ヶ月、忙しく落ち着かない日々が続きそうだ。
Posted by 親分
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[アラスカ
新緑に積もる雪
アラスカの春はすごい。

雪が一気に解けたと思ったら、みるみるうちに新緑がぶわーっとやってくる。暗くて寒くて長~い冬の間、室内に閉じ込められていたフェアバンクスの住人達が、そわそわと落ち着かなくなって薄着で太陽を楽しむためにこぞって外に出る時期だ。

茶色だった山肌が綺麗な薄緑に染まってきた、その時。なんと雪が降りました。えぇー?!

新緑にうっすらと積もる雪をみつめながら、「私はやっぱりとんでもない所に住んでいるなぁ」と関心してみたり。「それでなくとも短いフェアバンクスの夏なのに、また冬に逆戻りかよ!」と悪態をついてみたり。

急激な温度の変化にやられたのか、少し喉が痛い。自家製ハチミツ生姜で作った生姜湯を飲みながらこれを書いている。皆さんも風邪には気をつけて!

Posted by 親分
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[アラスカ
偶然の出会い
金曜日、スケート教室の後、いつものようにサブ子と一緒にランチをしているときのことだった。場所は久々に入った地元のコーヒー&デザートハウス。入り口に一番近いテーブルでランチを終え、お気に入りのデザートを頼んでわくわくしながら娘とふざけている時にその人達はドアを開けて入ってきたのだった。

「星野さんの奥さんの直子さんだ!」とすぐにわかった。「失礼ですけど、星野道夫さんの奥様でいらっしゃいますよね?」と思わず声をかけた私に、直子さんは「はい、そうですけど。」と笑顔で答えてくださった。あぁ何を話せばいいんだろう、と頭の中で焦りながらも、私は星野さんを知ったことがきっかけでこうしてアラスカにいることを伝えた。直子さんは「そうなんですか。」としばらく話を聞いてくださり、バックの中から「こんなの作ってるんですけど、もし良かったら。」と2010年の星野道夫カレンダーをくださった。星野直子さんと一緒にいらしたのは、息子さんの翔馬君と、星野道夫さんの親友でもあり、ブッシュパイロットでもあったドン・ロスさんの奥様であった。

写真家の故・星野道夫さんがきっかけでアラスカに来たという日本人がいったいどれだけいるのだろう。星野さんの名を口にすると「あぁお前もか。」という目で見られることが多いのは、それだけ星野さんの写真が、文章が、多くの人々を魅了してこうして実際にその人生を大きく動かしてきてしまった、ということだ。

星野さんが亡くなられた後に発行されたSWITCHの特集号を、新宿の小田急の上階にある書店で手に取った時のことを今だに覚えている。新宿の大病院の救命救急センターで新人ナース生活を送っていた頃のことで、夜勤明けでふらりと立ち寄った先でのことだった。その後、私は彼の著書を片っ端から貪るように読んだ。アラスカの土地そのもの、というよりも、彼の暖かい目を通して語られるアラスカに住む人間の持つユニークな文化、その多様性、やさしさ、強さ、そして脆さ、そういったものを全部ひっくるめて、とにかくもうどうしようもなく惹かれた。

アラスカネイティブの歴史、文化、言語、そしてドラッグやアル中という社会問題の背景を勉強したくって、アラスカ大学フェアバンクス校(UAF)に入れるように、と夢中で英語を勉強した。日勤と深夜勤の合間を縫って、夜間の英語学校に通い、2年後、無理やりUAFに入学させてもらって(実は英語のスコアが少々足りなかった)、もう日本には戻らないだろう、ぐらいの覚悟でアラスカにやってきたのだった。星野さんの目を通してではなく、どうしてもこの自分の目で、心で、アラスカという場所を体験してみたかった。

星野さんを取り上げたガイアシンフォニーというドキュメンタリー映画がある。この映画を観るために東京の雑踏の中一人歩いたのはもう14年近くも前のことなのだ。スクリーン上に映されていたよちよち歩きのかわいい男の子(星野道夫さん、直子さんの一人息子である翔馬君)が、15歳の立派な少年となって私の目の前に現れていた。ガイアシンフォニーでベイビーだった頃の彼を私は見たのだ、という話をすると、恥ずかしがりながらも「中学を卒業して、この春から高校生です。」とはっきりと言った。見た目は今時の日本の若者風だったが、芯が強そうで地に足がしっかりついている様子で、本当に感じの良い少年だった。直子さんは想像していた通り、穏やかで優しい雰囲気をまとってはいたが、とにかく凛としていらっしゃった。ゆるぎない、という感じがした。そんな親子とご一緒にランチをされていたのは、ドン・ロスさんの奥様。ドン・ロスさんの奥様が日本人であることさえ私は知らなかった。彼女も「ここに20年も30年も住んでいても、全然会わない日本人(10年ここに住んでいる私のこと。)っているものなのねぇ。」と笑っていらっしゃったが、なんとお住まいが私が妊娠する前にキヨシ君としばらく住んでいたログキャビンのすぐ近くであることまで判明し、「この人(直子さん)のお家もあの道をちょっと上がっていた所。」というので驚いた。

東京で仕事をしながら、英語の勉強をしながら、夢中で星野さんの著書を繰り返し繰り返し読んでいた頃は、こうして直子さんや大きくなった翔馬君やドン・ロスさんの奥様と、フェアバンクスのコーヒーハウスで我が娘とランチをしている最中にばったり出くわすことになろうとは夢にも思わなかった。昔からアメリカ原住民の哲学に惹かれていたとはいえ、夜勤明けのあの日、新宿小田急の本屋で星野さんの特集が組まれた雑誌を手に取っていなければ、今私がこうしてフェアバンクスに住むことも、キヨシ君と出会って結婚することも、サブ子や栄作が誕生することもなかったのだ。

直子さんは「連絡先を交換しましょう。」と言ってくださり、お互いの連絡先を交換して別れた。(星野さん親子は、今は主に東京で暮らしていらっしゃるが、翔馬君の学校の休みを利用してちょくちょくフェアバンクスのご自宅に滞在しておられるそうだ。)この先、また出会える機会に恵まれるかどうかはわからないけれど、星野さんを知ることがきっかけで私が今こうしてここに生きていることを奥様の直子さんにお伝えできただけでも、本当に良かった。

偶然の神様に、心から感謝する。
Posted by 親分
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[アラスカ
マリファナ無しで勝った Lance Mackey
今日の午後、Lance Mackey が Iditarod 犬ぞりレース史上初の4年連続優勝という快挙をなしとげた。

喉頭癌と闘い、唾液腺まで摘出され、放射線や化学療法の後遺症から末梢の血行不良をおこしているのに Dog Mushing なんて過酷なスポーツをしているものだから、寒さにやられて手の指を失ったり昨年は感染症を起こして危うく片腕ごと失くす所だったらしい、というなんともボロボロな犬ぞり使い。唾液腺がなくて口の中や喉が渇くのでレース中も絶え間なく何かを口にしているのだそうだ。極寒の中を眠気や痛みと戦いながら、延々とスナックを口にして走り続ける・・・。それでも彼は「こんなに面白いことはない。」と犬ぞりレースを心から楽しんでいる様子。

今回の Iditarod 犬ぞりレースでは、初めてレース中のランダムなドラッグテストが行われたことでも話題になったけれど、今までメディカルマリファナを疼痛コントロールに使っていることをオープンに語ってきていた Lance Mackey にはこれは不利な条件であるはずだった。医師に「マリノール」というマリファナの錠剤を出してもらって例外として認めてもらう、ということも出来たはずだったのに、彼はそうせず、このレースをマリファナなしで走りきった。「この『ドラッグテスト』騒動は元々自分に向けて作られたものに違いない、と俺は思っている。皆、俺がこれまでドラッグの力で勝ってきたと思っているんだ。これまで自分が勝ててきたのは、俺の力ではなくて俺の犬達の力量だということを、このままでは誰も信じてくれない。だから今回はマリファナなしで走る。」と言う Lance Mackey の新聞でのコメントを読み、私は「くーっ、なんて男らしい!痛みを我慢してなんとかレースに勝ったら、思う存分マリファナを吸わしてやる!」と拳を握って応援していたのだ。

まぁ、年々レース展開を追っていれば、寝る間も惜しんでチェックポイントでろくに休憩も取らずに走り続け、勝ち続けるLance Mackey に懐疑の目を向ける犬ぞりレースファンが出てきたことも理解できなくもない。今回の優勝で、彼の汚名も少しは返上されるといいな、と Lance の一ファンとしては願いたいところ!

ヤンキーあがり(に違いない。)で人相も悪く、言葉は悪いし態度もでかいので彼を嫌う人も多い。だけど私は彼の痛快なコメントにいちいち「あちゃー、また言っちゃったよ!」と笑い、いいぞ、いいぞ、その調子!と応援してきたのだ。去年キヨシ君と行った彼の講演会では、なんとも気さくで面白い彼のトークに笑いながらも、意外と人情が厚く、有言実行を果たす為には努力も惜しまない、というその姿勢に心から関心したものだった。 Lance Macky、4年連続優勝、本当におめでとう!8日間、23時間、59分、9秒という歴代2位のスピードでの立派な優勝でした!(ちなみに歴代一位はルティカさんの応援する Martin Buser 氏。)

iditarod 2010
Posted by 親分
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[アラスカ
冬道の運転
昨日の通勤時のこと。

高速に入るカーブでブラックアイスに当たったのか、車がそのまま横に滑って縁石にガツーンと当たり、乗り上げてからようやくガッタン、と道に戻った。早朝だったので運良く前後に他の車はなく、前輪、左タイヤのリムを破壊しただけで済んだのだけれど、冷や汗をかきながら心臓をドキドキさせていると、後部座席に居たサブ子に

「マーマー!Be careful! That's dangerous!」と叱られた。

ごもっともでございます。「ごめんね!ママ、気をつけるから!もうしない!」と子供達に平謝りしつつ、タイヤがパンクしていないことを確認してゆっくりと車を走らせ始めると、サブ子は

「That was fun!」と突然笑い出し、隣の栄作まで便乗して「Fun!」と笑い出す始末。「Mama, one more time!」とうるさい子供達をたしなめながら(私の運転する車はスリル満点の遊園地のアトラクションと一緒か!)、のろのろと託児所、病院まで安全運転したのでした。

皆さんも冬道の運転にはくれぐれも気をつけましょう。
Posted by 親分
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[アラスカ
マイナス40度
我が家は山奥のちょっと高いところにあるので、ありがたいことに気温が街中よりもちょっと高めです。冷たい空気は下にたまるので、どんどん坂を下って町に下りていくとどんどん寒くなる。

今朝も自宅を出たときの気温はマイナス30度だったのに、仕事で町へ出たら銀行の電光掲示板にはマイナス40度と表示されていました。車のエンジンが凍り付いてしまわないように、いつものようにエンジンヒーターにつなげたコードを病院の駐車場のプラグインに差し込みながら、

「人間はどうしてこんなクレイジーなところに暮らしているのだろうか。」

という思いがふとよぎった真っ暗な今朝6時40分。寒さでビリビリした手や顔や凍りついた鼻毛、まつ毛を感じながら病院の建物の中に小走りで入ると、そこはやっぱり暖房が暖かく効いていて、普通にナースや技師さん達がスクラブ姿で廊下を歩いていて、外壁一枚隔てた世界がマイナス40度であることがなんとも信じられないのでした。
Posted by 親分
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[アラスカ
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