アラスカ、フェアバンクスで暮らす、親分とその子分達(キヨシ君:夫、サブ子:娘、栄作:息子、そして飼い犬 Maxine) の日常を綴ります。
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Posted by 親分
 
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「アルゼンチンババア」
図書館から借りてきたよしもとばななの「アルゼンチンババア」。傑作だった。

登場するアルゼンチンババアももちろんものすごく魅力的なのだけれど、そんな変わり者の女性と、妻を亡くした後に一緒になる主人公の父がまた傑作だった。墓石を作る職人だった彼が、亡くした妻(イルカが大好きだった妻)の為に作ったのが、マンガのようなかわいらしい白くてつるんとしたイルカの形をした墓石だったというのがまた泣けた。

その墓石をお寺に設置するときに、お経をあげるために来たお坊さんの一人が笑いを堪えるのに大変だったとか、墓を洗っていても神妙な気持ちになりにくく、墓石を洗っているのではなくてイルカを洗っている感覚になれるのがすばらしい、と思える主人公(なにしろイルカは笑って喜んでいるのだ。)とか、そういうのを読んでいて泣き笑いしながら気持ちがすぅっとした。

私の父は陶芸家である。世渡りが下手なのでとんでもなく貧乏だが、自分の作るものに対しては決してウソがないように生きてきたように思う。父は息子(私の10も歳の離れた弟)を小児癌で亡くした時、自分の息子の為に墓石を自分で粘土で作って焼いた。7歳で逝った弟はファミコンが大好きだった。病室のベッドの上で、その痩せた身体で、抗がん剤でつるつるに禿げた頭で、よく本気になってファミコンをしていた。そんな弟が特に気に入っていたのが「ドラゴンクエスト」だった。父は「キメラの翼」の形をした墓石を作って焼いた。キメラの翼はドラゴンクエストに出てくる1アイテムで、強く行きたい場所をイメージし上空に放り投げることで、放り投げた本人の望む目的地に運んでくれる、という便利な道具なのだ。それを自分の息子の墓石のモチーフとして選んだ父を、私達家族は誇りに思っていたので、閉鎖的な小さな田舎町の墓地に異様にたたずむ変な形の墓石を地元の人たちがどう思おうが全く平気だった。ちなみに、父はお墓にあげるお花を生ける花瓶ももちろん自分で焼いたが、それらにはカラフルな「スーパーマリオ」と「ヨッシー」が象嵌されている。

イルカ(リアルに彫ろうと思えばいくらでもリアルに彫れたであろうテクニックで、なぜかマンガのようにかわいらしく、つるんとしたイルカ。)を妻の為に彫った父、そんな父の作った墓を見て、母の死に目を避けた父を許してしまう娘。変わり者として町中の人間にバカにされている「アルゼンチンババア」のところに妻の死後に転がり込み、第二の人生を謳歌している父と、とまどいながらもそんな父を受け入れていく娘。

父と娘の間に存在するアルゼンチンババアがまた魅力的で、その変わった風貌や言動といい、信じられないほどに汚いその住まいといい、とにかく異彩を放つ。

よしもとばななは、こうして心に傷を持ち、それでも前を見て生きてゆく、という人間を書かせたら誰にも負けないとファンの私は思う。よしもとばななの小説の登場人物たちは一見変わっているけれど、その心は「健全」なのだ。辛いことや悲しいことをきちんと消化しながらも、食べて、寝て、暖かいものにはしっかり心を動かされ、自分の足で立って自分の手で幸せを掴もうと、その与えられた人生をきっちりと生きる。

愛する者の死、というものは、周りの者を打ちのめすだけでは決して終わることなく、その背中を明るいものに向けて押してくれるものなのだ。そして死んだ者と共有した思い出は、残された者の心の中でひっそりと、でも確実に生き続けてゆく。よしもとばななはそれを良く知っていて、そういうことをおバカな現代の私達にわかる言葉で書き続けている。ここがすごいところだと私は思う。そんなよしもとばななの文学を「軽い」とか「無邪気」とか「能天気」とか「お手軽」だと批評する人間の気持ちが、私には全くわからない。
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Posted by 親分
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日本語の本
UAF の学生だった頃、一夏働いていたことのある GI(Geophysical Institute) Library で司書をしていらっしゃるCさんからメールが届いた。日本語の蔵書が増えたのでどうぞ利用してください、とのこと。

GI Library は、International Arctic Research Centerという日本の研究者が沢山働いている施設の中にある。もともとはCさんのアイディアで、フェアバンクス在住日本人の、要らなくなった日本語の本の交換の場、という形で図書館の中に設けてくださった1コーナーだったような気がするのだが、スケート教室の後にサブ子を連れて久々に図書館に足を踏み入れてみると・・・。すごい!日本語の本コーナーが確実に大きくなっている!子供用の絵本あり、日本の映画(ビデオ、DVD)あり。サブ子も「めばえ」などを手に取って「あんぱんまん!」と興奮していたが、もっと興奮していたのは親の私のほうで、吉本ばなな、伊坂幸太郎、石田衣良、等々の小説を片っ端から手にとって目をぎらぎらさせていた。見かねたのか、Cさんが小さな段ボール箱まで持ってきてくださったので、その中に借りたい本やビデオやDVDを一杯に入れ、「どうぞゆーっくり楽しんでくださいね!」というCさんの笑顔に見送られ、ホクホク顔で帰宅した。

以来、私は寝不足になりながら日本語漬けの生活を送り、ちびっ子達は連日ビデオで「千と千尋の神隠し」を見る、という生活を送っている。

後日のCさんからのメールで知ったのだけれど、なんとパブリックライブラリーに日本語の本をリクエストし、「インターライブラリーローン」で入手してもらって貸し出ししてもらう、という手もあるらしい。「インターライブラリーローンでのリクエストで利用者がどんな本を必要としているか、を知ることにもなるので、図書館にとってもいいことなのです。」とCさんもおっしゃっていたけれど、こんなサービスを無料で受けられるなんて!日本語の本がフェアバンクスに住みながら好きなだけ読めるなんて!

というわけで、フェアバンクス在住日本人には朗報だと思うのでここに書きました。皆さん、一緒にGIライブラリーとパブリックライブラリーで日本語の本、DVDを借りましょう。あ、そうそう、それから自宅にもう読み終わって手放しても惜しくないような日本語の本が眠っていたら、ぜひぜひGIライブラリーの日本語の本コーナーに寄付しましょう。
Posted by 親分
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木村秋則さんのこと
日本の両親が「すごい人がいるよ」と送ってくれた一冊の本。

青森でリンゴ農家を営む木村秋則さんの「リンゴが教えてくれたこと」。絶対不可能と言われたリンゴの無農薬、無肥料栽培を成功させた木村さんの波乱万丈な人生が自らの素朴な語り口でつづられている。

農薬で家族が健康を害したことをきっかけに無農薬、無肥料栽培を模索し、10年近く収穫ゼロになるなど苦難の道を歩みながら、その間米や他の作物を育てて家族を養おうと奮闘したり、冬の間日本中を出稼ぎして歩いたり、キャバレー勤めやトイレ掃除までして歩いた木村さん。キャバレーの客引きで間違えてヤクザに声をかけ、顔を散々蹴られて歯抜けになりながら、「人に殴られるようなことまでしてリンゴのために戦ったその証にしようと思いました」と歯抜けのままでいる木村さん。3人の娘のPTA費まで滞納し、1個の消しゴムを3つに分けて使わせ、小学校6年生だった長女には「お父さんの仕事」という題の作文で「お父さんの仕事はリンゴ作りです。でも私はお父さんのつくったリンゴを一つも食べたことがありません。」と書かれてショックを受けていた木村さん。村八分になり、借金にまみれ、半ばノイローゼになりながら、それでもリンゴ栽培を諦められなかった彼が、無農薬、無肥料栽培を開始してから約10年後に自分のリンゴ畑に満開に咲くリンゴの白い花を前に、「あぁ白い」と涙を流し、奥さんと2人立ち尽くした時の胸のうちを察するだけで私まで泣けてきてしまう。

木村さんもすごいが、木村さんの執念、木村さんのユーモア、木村さんの優しさ、木村さんの観察力、それを信じて黙って支えてきた奥さんや義理のご両親(木村さんは婿入りしている)や3人の娘さんもすごい。

同じ東北人として誇りに思うし、こういう人が日本を、世界を変えてゆくのだと思う。「わだしはバガだから」やってこれた、という木村さんだが、「百姓」という仕事を誇りに生きる彼はどこまでもカッコいい、と私は心底しびれた。

木村秋則さん
Posted by 親分
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江國香織とよしもとばなな
秋に帰国したときに古本屋で買い溜めして、後日母親に船便で送ってもらっていた日本の本がクリスマス直前に届いた。子供用の絵本やらキヨシ君がちゃっかり自分で選んで自分で買っていた「熱帯魚読本」やら「昆虫図鑑」に加え、私が買ったレシピ本やインテリア雑誌や文庫本も詰まっていた。

子供達がDVDを見てる間や寝静まるのを待ってひとり日本語の本を読む幸せといったら!

江國香織の本を数冊(エッセイ集や小説)と、よしもとばななの「なんくるない」をすでに貪るように読み終えてしまった。2人とも私の大好きな作家だ。

江國香織の本は、その独特な透明感が好きでこれまで色々と読んでいる。江國香織の視点が私にはものすごく新鮮で、彼女の書く人物や食べ物や風景が私はすべて好きなのだけれど、彼女が夫婦を語ると私は決まって「おお、怖!」と思ってしまう。(彼女の書く「家族」は本当に暖かいが、「夫婦」はしみじみと怖いのだ。)しかし読むたびに実感するのは「江國香織は筋金入りのお嬢様なんだなぁ」ということ。いや、嫌な意味じゃなく、良い意味で。彼女もよっぽどの変わり者だと思うけれど、あの切れる頭と鋭い視点とかわいらしい外見と激しい情熱を併せ持った彼女の魅力にはやっぱり女の私でもやられてしまう。全く素敵な女性です!

だけどやっぱり日本の物書きで誰が一番好き?と聞かれたら私は「よしもとばなな」と答えるだろう。今回読んだ「なんくるない」もやっぱり良くって最初の短編一話で不覚にも泣いてしまった。彼女の作品には当たりハズレがあるのは確かで、それはよしもとばなな本人がしょっちゅう「これはとんでもない失敗作だった」とか後書きであっけらかんと書いてしまうことからも明白だ。(笑)でも彼女が20代でデビューを果たして以来、これまで書いてきたことはやっぱり気持ちが良いほどに一環としていて、彼女がそのたったひとつのことを伝えたいがために手を変え、形を変えて何度でもがんばって書き続けている様子がわかるので、私は「ハズレ」に当たっても別に悔しいとは思わない。(正直「アムリタ」や「とかげ」の頃は「よしもとばなな、いったいどうしちゃったんだろう。」と悲しくなったりもしたものだが・・・。)一生ファンであり続けると思う。

こっちが気恥ずかしくなるような熱いことを登場人物は平気で語るし、意地汚なかったり、どろどろしたこともたくさん出てきて、江國香織の洗練されて、垢抜けた、クールな雰囲気が全く感じられないのがよしもとばなな。でもその世界は読んでいてなぜかぐっと来る。

「なんくるない」に納められた、最初の短編「ちんぬくじゅうしい」に出てくる、主人公を一時預かる沖縄の叔母というのがまたすごかった。いろんな事に悩み、疲れ、苦しんで泣いてしまう主人公に真っ直ぐな言葉をかけてジュースを買いに走る叔母の暖かさが、なぜか自分の北海道の叔母の暖かさにダブって涙が止まらなかった。私自身は別に悩み、疲れ、苦しんでいるわけではないけれど、私の叔母はとんでもなく深く大きな心を持った人間で、私は赤ん坊の頃からずっとそれに触れて生きてきたのだ。太っているとか髪型がおかしいとか笑うと目がなくなるとか「バナナってほんとにうめえよなぁ」という彼女の口癖を真似て馬鹿にしたりとかこれまでに散々な口を利いてきてはいるが、叔母はすごい人間だ、一生かかっても私はああいう風にはなれない、と私は常々思っているのだ。こんなところで告白しても何にもならないが。(笑)

人間の真の暖かさや、「本物」を大切に思う気持ち、というものに対する、よしもとばななの執着心はやっぱり私の心を打つ。少々見苦しくても。垢抜けてなくても。こういうのが好き、って言うのはちょっと気恥ずかしいな、と思いながらも。ちなみに私がよしもと作品で一番好きなのは「キッチン」と「不倫と南米」。今回の「なんくるない」もかなり良かったけれど、よしもとばなな本人曰くこれは「失敗作」だそうで。(笑)「ちんぬくじゅうしい」、良かったけどなぁ!!!
Posted by 親分
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