アラスカ、フェアバンクスで暮らす、親分とその子分達(キヨシ君:夫、サブ子:娘、栄作:息子、そして飼い犬 Maxine) の日常を綴ります。
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Posted by 親分
 
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内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)・東京大教授
まずはこれを読んでください。

福島第1原発:内閣官房参与、抗議の辞任
http://mainichi.jp/select/science/news/20110430k0000m010073000c.html

Japan prime minister's nuclear adviser resigns
http://www.asiaone.com/News/Latest%2BNews/Asia/Story/A1Story20110429-276447.html

小佐古さんのような日本人が居てくれて良かった。

署名をしてくださる方はこちらから。
http://e-shift.org/?p=166


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Posted by 親分
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[日本東北関東震災
1ヶ月帰国
今月25日の深夜に1人フェアバンクスを発ち、実家宮城で1ヶ月実家の手伝いをしたり地元の避難所でボランティアをしてきます。「原発問題が落ち着くまで・・・。」とキヨシ君と日本の父親からストップがかかっていたのですが、どうにも落ち着く気配がないので思い切ってチケットを取ってしまいました。

ところで、心配しつつも子供達の面倒をみながらフェアバンクスに残って私を送り出してくれるというキヨシ君と、その助っ人としてフェアバンクスに1ヶ月(私の不在の間中)滞在してくれるというキヨシ君のご両親。そんなこちらの家族とのコミュニケーションの手段として、小さなラップトップを購入しました。帰国時はこれを持ち歩き、頻繁にメールなどで連絡を取り合いたいと思っているのですが、私が今持っている携帯は海外からアメリカへ電話をかけられるプランというのがありません。

調べてみると、今の世の中、空港で携帯電話をレンタルしてくれるらしい、とのこと・・・。これをラップトップにつなげば日本中どこからでもネットが使えるし、海外への電話もかけられるという話なのですが、なにしろそういうハイテクな話にはからきし弱い私・・・。簡単でお奨めのプランや携帯会社などをお知りの方がいらっしゃいましたら、ぜひぜひ教えていただきたいのです!

成田空港で貸し出しをしている携帯会社リストはこちら
→http://www.narita-airport.jp/jp/guide/service/list/svc_19.html

成田から仙台、岩沼までの交通手段は、今月末までにどの程度回復しているかわからないということで、もう少し様子を見てみようと思っているところです。新幹線が今月末までに通る、とか、仙台空港の国内線の一部が今月末までに再開する、とか色々良いニュースはあります。原発が危険で福島を通過できないとなれば、山形や新潟からバスで、という手段もあるようです。なんとか帰れるでしょう!

大震災から1ヶ月以上経った今も、大きな余震や放射能問題で落ち着かない地元。家族や隣人の死を悼む間もなく、日常生活を取り戻そうと必死な地元人。微力ではあるけれど一応援団員として、少しでもお力になれたら、と思っています。
Posted by 親分
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[日本東北関東震災
妹からのメールその2「震災の残したもの」
震災の残したもの

仕事に復帰しました。辞令交付はスーツ厳禁。ジャージ出勤。市役所内は忙しいので、所属部・課への挨拶も短く済ませ、保育所に直行。

保育所では入所式を中止して通常の保育がスタートし、私も2歳児のクラス担任になりました。子供たちは変わりなく元気にやってきて遊んでいますが、やっぱり遊びは「地震ごっこ」。「にげろ!」「やばいぞ!」「外にいけ!」とリアルな再現遊びが流行中。砂場では年長さんがバケツを運んで「救援物資でーす」とやってきて、お皿に砂を盛り、「これ二人で食べてくださいね」という配給ごっこ。切なくなるけど楽しそうで笑っちゃいます。こういう再現遊びは、恐い体験が「過去のものなんだ」と納得させる為に重要な遊びの課程なんだとききました。

親は会社が津波に流されて仕事を失っていたり、職員も家を失ったり、親戚を亡くしたり、たくさんの問題を抱えています。

知っている方の遺体の火葬も次々とあります。火葬場は大変で、遺族が順番待ちをしている状態です。

荒浜にいた保育士さんは、小さい子供二人と旦那さんとともに流され、一家全員亡くなりました。彼女は妊婦さんでした。

岩沼のおいしいとんかつ屋一家は、藤曽根の自宅にいた奥さん、子供たち(保育所在籍の6歳の女の子と3歳の男の子)おじいちゃんおばあちゃんが亡くなり、店にいたご主人ひとりが生き残りました。震災から三日後に長男の遺体をみつけ、一人ぼっちの火葬。つぎに奥さんを。そして、ずっと探せなかった長女が三週間以上過ぎた今朝、水の中で発見されたとの連絡が入りました。

これは二万人を超す亡くなった人々のうちのひとつの話にすぎないのです。こういう酷い話が、いくつもいくつもあり、物語ではなく現実なのです。

かける言葉もみつからず、ただただ涙がこぼれ、みんな耐えています。



辛いけど、忘れてはいけない3月11日・・・!!
Posted by 親分
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[日本東北関東震災
玉浦小学校への学用品寄付の件について
お友達のちびさんが、ご自分の寄付分を郵送するまえに直接玉浦小学校へ連絡してくださいました。これから寄付分を送ろうとしてくださっている方の為に、以下、ちびさんからのコメント二つそのまま載せます。

①今玉浦小学校に電話してみました。ランドセルは生徒の数以上に集まったのでもう必要ないそうです。ただ、ノートや鉛筆などの消耗品はまだまだ必要だと言うことです。小学校ウェブサイトに載っていない、色鉛筆や絵の具などもあればありがたいとおっしゃっていました。A4やB5の印刷用紙もあれば受け付けられるとおっしゃってました。

②今日ゆうパックで玉浦小学校へ荷物を送りました。
郵便局と小学校へ確認の連絡をしたところ、直接学校へ送付可能だということです。宅急便はその地域への配達はまだ受け付けていないということです。

ご協力してくださっている皆さん、本当にありがとうございます。


Posted by 親分
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[日本東北関東震災
妹からのメール
このまえ北海道のみんなから届いた物資のおかげで、不自由なく暮らしています。みんなから励まされ、本当に感謝してます!我が家はガスも水道も復旧し、市内の店も短時間営業を始めるところがでてきました。以前のように殺気立つ行列に並ばなくても普通に店に入ることが出来て、なかでも生協は品揃えがなかなかです。昨日行ってきたけど、電力不足なのか店内は薄暗く、処分品なのか乳製品はビニールに覆われ販売不可の張り紙。それでも野菜や魚が売ってる~と感激しました。納豆が恋しいという話をしていたら納豆も発見!!○○○(娘)が「おかあさん納豆ある~!!」と大喜び。外で果てしなく待たされることが無くなっただけでもホッとしたのに、食べたいものが買える幸せ!大体のものは手に入るようになって、少しづつ不安が消えてきました。

当たり前がどれだけ恵まれていたのか、今回の震災でよくわかりました。水がない、電気が無い、ガスも無い、と突然の原始生活になって、最初の頃は情報がわからず、携帯も圏外。外は次第に真っ暗になり、ストーブの周りに集まって家族でラジオを聞くしかない夜。海岸に数百人の遺体が確認できるとか、津波が押し寄せてるとか、町が壊滅したとか、そんなことばかり暗闇で聞いていて気が滅入りました。灯油と懐中電灯の電池が心配ではやく布団にはいるけど、余震で緊張し、オムツや食料が家にどのくらいあったのか、飲み水は?お風呂の残り湯は?沿岸の友達は生きているのか?避難できたのか?津波はどこまできてるんだ?と延々と考えて眠れず。。。でも数日経って覚悟を決めるとたくましく過ごせるもので、お風呂なんか入らなくても、トイレが使えなくても冗談を言って笑えるし、食事をみんなで分け合ったりするのも楽しかった!水道が復旧して蛇口から水が出たとき、子供たちが飛び跳ねて喜び、水だー!!と大声を上げてわらった事は忘れられないし、子どもたちにとってとてもいい経験になったと思います。

悪夢のような現実だけど、とにかく自分たちは生きている!こんなにもみんなに支えられてる!と感謝して過ごします。同級生や後輩のお母さんが遺体で見つかり、未だに行方不明の知り合いもいます。同僚には、ガソリンがなくて被災した遠い実家に戻れない人や、家が跡形も無く流された人もいます。自分の家で家族と暮らしている私たちは本当の被災者とはいえないなーと思います。

津波にあった玉浦の現状を写真に撮ってメールで伝えようと思い、先日車で行ってみたのですが。。。変わり果てた風景にあ然。木材や瓦礫、ごみ、黒い泥が一面に広がり、残った家では中の泥をかき出す作業中。海水と下水の嫌な匂い。重機がミニカーに見えるほどの光景。その先の重大な被害のあった沿岸には恐くていけませんでした。カメラも向けられず帰ってきました。自分がするべきことはこんなことじゃないな、と力が抜けてしまいました。

とにかく、時間がかかります。元通りというわけにはいかないかもしれないけど、10年20年かけてやっていく気力をもって、私も出来ることからはじめたいと思ってます。日本人の、いや忍耐強い東北人の底力をみせるぞー!


※宮城県、岩沼市に住む妹から昨夜届いたメール。。。現場の声を聞いて欲しくて、妹の了承を得て載せることにしました。本人は「おしょすいなー(恥ずかしいなーの訛り。笑!)」って言ってましたが。
Posted by 親分
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[日本東北関東震災
玉浦小学校への寄付のお願い
妹の子供達が通う小学校が、同じ市内にある小学校、玉浦小学校の子供達(多くの子供達が津波で家や学用品を流されてしまった)に送ろうと、

未使用の鉛筆、消しゴム、定規、筆箱、使わなくなったランドセルの寄付を募っています。実はこの玉浦小学校、私と妹の母校でもあるのです。稲刈り後の田んぼでイナゴ採り大会をしたり、きっと津波で跡形も無くなってしまったであろう鳥の海でごみ拾いをした後に芋煮会をしたり、市内で合同の競技会などがあるたびに集団で田んぼのど真ん中を列を作って町中まで自転車移動した玉浦小学校時代。

友人や先生の暖かい訛り言葉や、帰宅途中に嗅いだ籾殻の燃える香ばしい匂い。あの美しかった小さな田舎町が津波にすっかり飲まれてしまった。家族を失い、家を失くし、呆然と避難生活を送っている同級生がどれだけいるのかと思うと本当に心が痛みます。今、私が出来ることは、彼らの子供達(私達の下の世代の子供達)が玉浦小学校で再び学校生活を送れる日の為に、学用品の寄付を募ることぐらいです。

日本に住んでいる方で、もし協力していただける方が居ましたら、

989-2456
宮城県岩沼市松ヶ丘1-17
岩沼西小学校

宛てで、上記未使用の学用品か、使用済みランドセルの郵送をぜひよろしくお願いします。もしくは、私の妹の実家まで送ってくだされば、妹が責任を持って玉浦小学校宛てに直接寄付させていただきます。ご協力していただける方は、直接岩沼西小学校宛に「同市内にある玉浦小学校の子供達の為に」ということで寄付していただくか、もしくは私までご連絡ください。妹の連絡先をお伝えいたします。
Posted by 親分
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[日本東北関東震災
ボランティア
宮城県の交通機関がある程度整って、実家に水が戻ったら・・・。

1ヶ月間ほど1人実家に飛び、父親の仕事場の片付けを手伝ったり、地元人が避難生活を送る避難所でボランティア活動をして来ようと思ってます。ナースとしてお力になれればなおさら良いのですが。

Posted by 親分
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[日本東北関東震災
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